20才にして死に、60才にして埋められる

いつだったか覚えていませんが、20代後半に次の言葉を教えてもらいました。

20才にして死に、60才にして埋められる

この言葉の意味は

多くの人は20才ごろに夢や野望を持つことを辞め、死んだも同然の生き方を始める
そして60才ごろには退職することで社会的な存在価値を失い、埋められたような生き方になってしまう

つまり、多くの人は 「生物学的には生きている」 けれど、本来の意味で 「生きている」 のは成人するまでであるということです。

どう生きたいか、何を成したいか、大きや夢からの逆算、希望や野望、大きな可能性を感じて生きていく、のではなく
なんとか安定したい、失敗したくない、平々凡々でいい、リスクを最小限に止めたい、可能性より安全を感じて生きたい、となってしまうということです。

先ほど、帰り支度をする高校3年生に次のような質問をしました。

「高校を出て、希望の進路の進んで、その後はどうしたい?」
「就職ではなく起業や、海外に出て行きたいな、とかは考えていない」

すると、次のような答えが帰ってきました。

「そんなの無理だから、とにかく安定した職に就きたい」
「なるべくリスクを取らずに、しっかり蓄えたい」

その答えを聞いて、上記の言葉を思い出し 「どうにかせねば」 と感じた今日この頃です。

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