「わからない」を許す

20歳ぐらいのころ「いろんな疑問」が浮かんでは、山のように本を読んでいる時期がありました。

※当時はインターネットがそこまで普及していなかったので、、、

  • 人生とは何か?
  • 人は何のために生きるのか?

という「人生についての疑問」から始まり

  • 死後の世界はあるか?
  • 人は生まれ変わるのか?
  • 幽霊や宇宙人はいるか?

というオカルト的なこと

  • 世界を牛耳っている組織があるのか?
  • どうしたらこの世は平和になるか?
  • 学んできた歴史は本当か?

という陰謀論(?)的なことまで(笑)

大学生で時間もあったこともあり、本当にいろんな本を読みました。

そしてある時、自分の中で「1つの答え」に辿り着きました。

「わからない」を認め、許す

それは「わからない」ということ。

「なんだそれ!」と思われるかもですが、自分の中ではとてもとても大きな気づきで

明日のブログで書きますが「人生が終わる(死ぬ)5分前にひらめく可能性」を持っているので、

どんなに「わかった!」としても、それがひっくり返る可能性

すら持っています。

出会いや気付き、そして経験によって人が成長し、自分の中の信念や哲学もどんどん変わります。

というか人生では「そもそもわかりっこないこと」がたくさんあって、良い意味で「わかることを諦める」ことの大事さに気がつきました。

「答えはAかもしれないし、Bかもしれない、もしかしたらCかも、、」

それまで「答えを見つけようとして、もがいていた自分」がいたのです「わからなくていい」と考え始めて(許して・認めて)、肩の力が抜け、自由に考えられるようになったのを今でも覚えています。

なのでもし「答えを探している人」がいたら参考にしてみてください。