「持っている人」の責任

日本人は世界的に見ても「持っている人たち」です。
平和で安全、自由や権利があり、ほとんどの人が文字が読め、自由に生きていくことができます。

ところが世界には「持っていない人」がたくさんいて、自由に夢を描いたり、やりたいことを模索したり、当たり前に「勉強すること」ができない人たちがたくさんいます。

そんな世界の状況で、日本(というより先進国)の人たちは実は多くの「持っていない人たち」に支えられて、日々の生活が維持できています。

服や下着が安く買え、余るほど食事があり、エネルギーも資源も溢れているのは、
その陰で、自由や権利を制限された中で必死に働き生きている多くの人たちがいるからです。

そう考えると「持っている人」には責任があると考えます。

それは世の中に対して何か(寄付やボランティア)をすべきだ、ということではなく、

自分が与えられた人生の可能性を追求する責任
そして世の中がより良くなるために行動する責任
そして、まずは自分自身が成長発展するという責任

です。

北九州に住んでいる時、NPO法人アジアチャイルドサポートの池間哲郎さんの講演会で

世界の貧困地域にいって「夢を持って諦めないで頑張って」と伝えたら
あなた達はそんなにも恵まれているのだから、あなた達の方がもっと頑張れと言われた

という話を聞いて、強い衝撃を受けたことを今でも覚えていますが、まさにその通りで

「持っている人」は、その可能性を最大限に使い、
世の中がより良くなる生き方をすべき
そうでなければ「持っていない人」たちに申し訳が立たない

そう考えるようになりました。

最後に、大学生の頃見た大好きな映画「グッド・ウィル・ハンティング」の中で、
天才的な頭脳を持ちながら、その才能(可能性)を使うことから逃げている主人公に親友が伝えた言葉を紹介します。

お前は、宝くじの当たり券を持ってて
それを現金化する度胸がないんだ
みんなその当たり券を欲しいと思ってるのに
それを無駄にするなんて俺は許せない